社会適合者
社会に出るというのは恐ろしいことだと思う。
モラトリアムという言葉はあんまりよくない言葉だと思うけど、モラトリアムが終わって世のため人のために生きなければならないのだ。
働くことそれ自体は、自分の幸せのためだけに生きることが出来る人というのはどちらかと言えば稀有な方だと思っているから、大変結構なことだと思う。
それよりも恐ろしいのはあれほど自分が不真面目な人だと見下してすらいたかもしれない人でも当然のように社会に出るための努力は惜しまないということだ。
授業には出ないしゴミも分別しない、カップ焼きそばのお湯を路上に捨てるような縄文人でも時が来れば人並みかそれ以上に努力をして、かっこいいESを書いて、今僕が憧れているようなお金がたくさんもらえる会社に就職していくことが恐ろしい。
なにがそこまで彼らを駆り立てるのか。僕だってたぶんそれなりに向上心というものはあるし社会に歯向かうつもりもない。
それにしたってなぜそんな当然のように努力できるのだ。持ち前の明るさで就職までの道も照らしているのか。
彼らにあって僕にないもの、必死に考えたけど、思いついたのは恋人ぐらいだった。
でも、恋人がいるから、結婚する相手をそれとなく意識することがあるからこそ普段不真面目でもひたむきに努力できるのだとすると素敵が過ぎると思う。
憧れる。
僕がお金を稼ぎたい理由も人を一人養うという目標のためだけど、やはりまだ見ぬ未来の恋人と生身の恋人では違うということなんだと思う。
自分の日々の行いと周囲の人の日頃の生活からも明らかだ。(もちろん悪い意味で)
自分の向上心とか真面目さとかそういう問題ではなく切迫感であるとか生活に根差した欲みたいなものがあればもっと僕も戦えるんだろうか。
日々自分が社会の中でいかに劣った存在であるかを考え悶々とする日々を送っているけど、どう考えても精神衛生にはよくないので早く勉強したりESを書きまくったりして気を紛らわすべきなんだと思う。社会に出てもいないのにメンタルにダメージを受けるのはよほど周囲に恵まれていない以外は暇が大きな原因だし、忙しくして少しでも気楽に生きるべきだ。
なんとなく社会に出るとその瞬間で色々なことが終わって、辛いなりにそれなりに生きていくのだ、と勝手に考えているけど多分社会に出てからも永遠に選択だとか向上を求められることはなんとなく察している。
男の一生は戦いであると古人も言っていた気がする。
疲れるなあ、一生は。
これを何世紀も全ての人間が行ってきたのだとしたら人類はすごすぎる。
人類最高。
おわり。